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本音に関するきっと本音ではない本音

 初めましての方は初めまして。そうでない方はこんちゃ。コムです。

 私、質問箱というサービスを利用させていただいているのですが、先日私の質問箱にこんな質問が届きました。

 「本音を話したことはありますか?」

 なんでわざわざこんな質問をしてきたかはよくわかりませんが、思い返してみると以前に私が「100%の本音なんてない」みたいなことを言ったことがあるので、もしかしたらそれに関連する質問だったのかもしれません。

 その発言の真意というか、私の主たる思想(ここ大事。主たるだけで、この思想に反する思想も私の中にはある)については、詳しくは機会があったら私が素面でないときに聞いてください。まぁ未成年なので飲めないんですが。

 逆に自信をもって私は100%の本音を話せますって言える人ってどれくらいいるんですかね。それって自分が自分に規定したキャラクターに話させているだけだったりしないの?って思ってしまうんですよね。だって人間は社会的な生き物で、今目の前にいる相手によって自分のキャラクターを変えたりするじゃないですか。だったら自分自身に向けたキャラクターがあってもおかしくなくないですか。それはあくまで自分が自分のために作ったキャラクターであって、作り物なんですよ。現に私は、「どこかひねくれている考えの自分」という作り物が今これを書いているようにしか思えません。そう思ってるのも、きっと私が、さらにそれを客観的に見つめる自分というキャラクターすらも演じたいからです。

 みなさんはそんなことはないですか?他人の前にいても自分一人でも、何かを演じている気分にはなりませんか?

 私はとりあえず、これを書いてるうちに頭がこんがらがってきたので寝ます。駄文錬成おわり!今回のは特にひどかった!

 

ちゃぶ台が大きくて

 初めましての方は初めまして。そうでない方はこんちゃ。コムです。

 今、私は居間のちゃぶ台に今春バッテリーが焼き付いてぶっ倒れやがったノーパソをのせて執筆をしています。

 このちゃぶ台、実は私のお気に入りで、引っ越してきてまず初めに買った家具がこれだったんですよ。私の住まいはかなり古いアパートだということもあり、そんな家賃もバカ高いわけでもないのにそこそこ広くて、今なんて畳で八畳あるんですよ。なので、私は当初からこの広い和室に合う大きなちゃぶ台を探していました。

 いったんちゃぶ台から離れて、私自身の話をします。話題が飛ぶなんて駄文の極みですね。私の実家は一軒家でそこそこ広く、友人たちのたまり場となっていました。自分で言うのもなんですが、私はまあ面倒見の良いほうなので、かなり大勢を招いて、みんなでわいわいとやっていました。そういう風に育ったのもあり、一人暮らしをしても住まいを友人たちが集まれるような場所にしたいなという思いが強かったんですね。

 ここでちゃぶ台の話に戻ります。そんな友人たちが集まりやすい空間づくりには、大きなちゃぶ台が必要だったんですよ。みんなで食卓を囲んで、スペースが足りなかったら片づけられるちゃぶ台が。

 あと、ちゃぶ台って気取ってないところがいいですよね。これが恋人やそれに準ずる人を招くためだったら、ちゃぶ台なんてもってのほかなんでしょうが、ちゃぶ台と畳という、落ち着く空間が欲しかったんですよ。

 なにが言いたいかというと、私は早く付き合いの長い友人とも、大学でできた友人とも、早く私の住まいで遊びたいということです。今はそのようなことははばかられますが、一人ではこのちゃぶ台は少々持て余してしまいます。

バケツとバスタオルと教科書と②

 初めましての方は初めまして。そうでない方はこんちゃ。コムです。

 前回、先生からの質問に間違えて答えた生徒と教室の床が水浸しになったっていうところで終わりましたね。実は、生徒は濡れてません。それどころか、そいつの机の上の教科書も濡れてません。そいつは先生が桶で水を汲んでかけるまでのほんの数秒で、洗練された動きで教科書を机の中にしまい、机に持ってきたバスタオルをかけ、自分自身はこれまた持ってきたレインコートを盾にして水を防いでいたのです。

 というか周りを見渡すと、同じようにしていたのはそいつだけではありませんでした。みんな水が飛び散って自分も巻き添えを食らうことを恐れ、同じように防御していたのです。なんだこの気持ち悪い集団、、、。と思い手元を見ると、私の教科書は濡れていました。

 その授業で水をかけられる危険性のあるタイミング、つまり先生に質問されるタイミングは二つあって、一つはあくびをしたり授業中のルールを違反したとき、もう一つは宿題の答え合わせで自分の担当を間違えたときです。前者は気をつけていればどうにかなるのですが、後者は毎授業回ってくるものなので、完全に避けられるものではありません。しかし、間違えるリスクを減らすことはできます。

 まず、宿題の答え合わせの担当は、前回授業の小テストの順位の下から順にあてられます。つまり、小テストの結果が良いほど間違える可能性のある機会が減り、問題数によっては担当しない者まで出てきます。そのため、生徒はみな死にもの狂いで勉強しました。

 次に、宿題の答え合わせの担当に選ばれた者たちが宿題のどこを担当するかは早い者勝ちで、先生が黒板に書いた設問番号の下にいち早く自分の名前を書いた者が担当します。つまり簡単で間違えにくい問題は早い者勝ちなのです。そのため、先生が設問番号を黒板に書き終えた瞬間生徒たちは席を立ちあがって黒板の前まで走り込み、押し合い圧し合いながらなんとか簡単な問題を取ろうとします。

 こんな異様な環境ですから、生徒間では奇妙な連帯感が生まれ(今思えば宗教染みていますが)、協力して勉強に励むようになります。しかし、なれ合いはしません。競争の中で自己を防衛しなくてはなりませんから。水をかけられるのは嫌なのでみな避けようとしますが、先生と、仲間と、そのスリリングでにぎやかな授業を笑顔で真剣に楽しんでいました。先生の知識量が膨大で、水をかけることなど抜きにしても、十分畏怖し、尊敬するに足りえる存在だったこともそのような授業が成立していた要因として大きかったと思います。

 他にも、国語の先生は宿題を友達に写させたやつ、写したやつを出禁にしようとしたりと、この塾はクレームへの恐れというものを知らなかったように感じます。数学を担当する塾長が基本的に保護者対応やらいわゆるビジネスとしての面は対応していましたが、この塾長も不思議な人で、福島のなまりと飄々とした話しぶりで、捉えどころのない、けれどもどこか温かい人でした。

 このご時世、なんでこんな塾が許されているのかは正直謎です。しかし、一つ確かだったのは、塾側と生徒・保護者側との信頼関係があったということです。というかそれが無かったらとっくに裁判沙汰になってます(もしかしたら経験済みかもしれませんが)。塾は、生徒のことも、保護者のことも、なめていませんでした。先生も生徒も互いにしっかりと向き合っていました。私は塾でバイトをするようになって、生徒や保護者の悪口を裏で言ったり、その場にいる生徒自身よりもビジネスを取ったりという場面を見てきましたし、私のバイト先以外でもそのようなことが見られるということはなんとなく知っています。もちろんビジネスだから仕方ないですよ?私の思い出補正もあると思いますよ?現在あの塾がどうなってるかもわかりませんよ?でも、私は少なくとも、こんな塾がどうして成立していたのかをいうことを考えることは価値があると思います。

 私はあの塾に入ってよかったです(そりゃ生徒に水かけるなんてどうかしてるとは思いますが)。そして、現代の価値観からすると歪んでいるように見えつつもその実まっすぐに経営されていたあの塾のことを、手放しに賛美することなんてないにしても、忘れはしないようにしようと思います。これが私のルーツの一つです。駄文錬成終わり!

バケツとバスタオルと教科書と①

 初めましての方は初めまして。私のことをご存じの方はこんちゃ。コムです。

 ご存じの方も多いかと思いますが、最近まで私はブラック塾バイトの夏期講習で死にかけておりました。まぁ契約期間が九月いっぱいまでなのでまだ働くんですが、山場は越えた、といったところです。どなたか夏期講習にみっちり入って個別指導の経験を積んだどの学年のほぼどの教科も教えられる東大のB1を求めてるホワイト塾バイトや家庭教師を紹介してくださいおねがいしますなん(汚いので以下略)

 という導入から入ったんですが、今回はブラックバイトの愚痴を垂れ流すわけではありません。それは今度私が企画する「某塾被害者の会」という食事会で散々吐きます。今日の深夜に呼びかけ始めて既に5人参加者が集まったあたり、バイト先へのヘイトの高さがよくわかりますね。

 私のバイト先もそうなんですけど、塾って宗教性あったりしますよね。ウチが一番だ!っていうあまりにも強すぎる自負とか、頭にハチマキ巻いたりとか、なんかよくわからんけどめちゃくちゃ崇拝されてる講師がいたりとか。

 私が高校受験のために中学3年の夏から通ってた集団塾もそうでした。そこは全国展開してるようなところではなくて、北浦和でこぢんまりとやっているところです。私がなぜわざわざそんな塾に行ったかというと、親友のうちの一人からの紹介があったから、そして、その塾が成績向上という点において評判がよかったからです。実際、そこには県内の模試で1位を取るような天才はじめ、たいへん勉強ができてかつ頭の良い仲間たちがいて、とても励みになったし、私も無事第一志望の高校に合格できました。

 じゃあ文句はないじゃない、という声があがりそうですね、文句は、あります。そこの塾、めっちゃ怖いんですよ。特に夏期講習の社会。

 その塾にはH(イニシャル)先生という名物講師がいて、この人が面白いけどめちゃくちゃ怖いんです。私がその人を初めて見たのは、その人が桶と水の入ったバケツをもって不機嫌そうに教室に入ってくるときでした。なぜ水。

 と不思議に思いつつも何か異様で危険な雰囲気だけははっきりと感じた私の手は、恐怖で震えていました。そして他の生徒にいきなり質問が飛んだかと思えば、その生徒は間違え、「ちがーーーう!」という先生の怒鳴り声とともに、その生徒と教室の床はさっきまでバケツに入っていた水で水浸しになりました。(バケツとバスタオルと教科書と②に続く)

このブログについて

 初めましての方は初めまして。私のことをツイッターとかリアルとかツイッターとかツイッターとかでご存じの方はこんちゃ。コムです。

 YouTuberみたいな挨拶から始まってしまいましたが、挨拶大事なのでね、仕方ないね。

 周りがぽつぽつとブログを書いていることに刺激を受けて、この度私もブログを開設いたしました。日本語が奇異とか言われないように努力を頑張るよう全力を尽くします(日本語が奇異)。

 ここまで読むまでもなく、私をご存じの方は「いやお前ツイッターでなんでもかんでも書いてるんやし今更書くことなんてないやろ畜ペン〇ね」みたいなツッコミを画面に向かって一人でしていることと思います。暇な奴らやな。

 まぁその通りで、話すことはツイッターでほぼ呟いてるし、ツイッターでも大したこと書いてないし、ここでも大したことは書きません。ただ、ツイッターって文字数制限あるじゃないですか。あれのせいでいろいろ説明を端折ってるエピソードってけっこうあるんですよね。ここでは、その端折ってるところを加えながら駄文を錬成していこうというわけです。つまり、ここで書くことはツイッターと被るかもしれないけど、まぁ全く同じというわけではないよ、ということです。余談ですが、私の法学の担当教員は課題の文字数をツイートの制限字数で換算して「約5ツイートほどの文量を書いてください」と言っていました。ツイッターに脳を乗っ取られていますね。はい、どうでもいい話ですね。

 というわけで、暇だったら(4段落最後の文の伏線回収)、このブログのことを気にかけてやってください。ゆっくりしていってね